続・ゾロのそぞろ歩き

世界一周ゾロのそぞろ歩きの続きです

知らんけど。

 


グラナダのバルで食べたタコで食中毒になってしまい苦しんでた夜中のことです。

あの日の夜中がきっと山だったんだと思います。

本当に苦しくて苦しくて、寝てるのか起きてるのか分からない状態の時でした。ふいに幼少の頃を思い出しました。

ボクは5歳くらいの頃、大阪市東淀川区の豊里という町におじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいました。

ちょうど淀川に架かる豊里大橋のふもとら辺、堤防もすぐそこで歩いて数十秒って場所に家がありました。

あの頃はまだ近所に原っぱや空き地、田んぼに畑が広がってた時代です。

じいちゃん家の向かいには平屋が何軒か並んでいました。

向かって1番右端の平屋には同い年くらいのサトルって名前の男の子がいました。このサトルがすごく残酷なヤツで、とにかく虫や爬虫類を殺すことに生き甲斐を感じているやつでした。バッタを捕まえては手足を一本ずつ千切って喜んでいるようなヤツでした。

ある日ボクが家の2階から下を眺めてると、サトルが三輪車で遊んでいました。サトルは虫カゴからカエルを取り出すと道路にカエルを置いて、ゆっくりとゆっくりと三輪車に乗ってカエルに近づき、前輪でカエルを踏みつけて殺しました。

ゲコーッという断末魔が辺り中に響き渡りました。あんな小さなカエルがこんなに大きな声をあげるのかと思うほど恐ろしい断末魔でした。

なぜだか分からないけど今でもその事を覚えています。

真向かいの平屋には女の子の姉妹が住んでいました。

苗字は佐々木だったと思います。

お姉ちゃんの方はボクの1つ歳上で名前は愛といいました。

妹の方はボクの1つ歳下で名前は優子といいました。

ボクはこの姉妹が大好きで、よく一緒に堤防に行って遊んだりしてたのを覚えてるし、ボクの家で3人でお風呂に一緒に入ったりしたのも覚えています。

特にお姉ちゃんの愛ちゃんはボクを可愛がってくれていました。

ある日、理由は忘れたけど、ボクと愛ちゃんはケンカをしました。でも翌日だったかな、愛ちゃんはボクを呼んでくれて2人でちょっと離れたところにある木造2階建のアパートの階段に座りました。

ボクの隣に座った愛ちゃんは

「ゆうくん、昨日はごめんね。私ね、ゆうくんに手紙を書いてきたの。」

そういって手紙を広げて読んでくれました。

内容は忘れちゃったけど、昨日はごめんなさい。私はゆうくんのことが大好きだからこれからも仲良くしてね的な感じだったと思います。

もちろんボクもその場で愛ちゃんにごめんなさいと謝って、ボクも愛ちゃんが大好きだよ。ずっと仲良しでいてねと言ったのを覚えてます。

だけどそのあとしばらくして佐々木家は引っ越していなくなってしまいました。もちろんその後、愛ちゃんとも優子ちゃんとも会ったことはないです。もう顔も思い出せません。

なぜだか分からないけど、食中毒で苦しくてうなされているときに、ふとそんな遠い昔のことを思い出したんです。

そしてボクはなぜだか妙に納得したように

「そうやんな。やっぱり愛やんな。ジョンとポールも言ってたもんな。”All you needs is love” 愛こそすべてって。愛やわ。この世は愛やわ。」

とか思いながら気がつくと朝を迎えていて、食中毒の山は去っていて体はずいぶんとラクになっていました。

ラクになったとはいえ、まだまだ嘔吐も下痢も続いていて何もできないし食べ物も喉を通らないのでベッドの中でスポーツドリンクを飲みながらNetflixを見て過ごしていました。

昼過ぎ頃にボクの隣のベッドに女性がチェックインしてきました。薄暗かったしNetflixに夢中になってたのであまり気にすることなく夕方頃になっていました。

ずいぶん体もラクになったし、ボクはギターを持ってキッチンの共有スペースに行って1人で静かにポロポロとギターを弾いていました。

向かいに座っていた中国人の女の子がボクに中国語で話しかけてきたので「あ、ボク日本人だよ」と返事をすると後ろから「え?日本人ですか?私もです!ていうかベッド隣ですよね?さっきすごくつらそうにベッドに入ってはったので体調悪いのかなと思って声かけなかったんです」と声をかけてもらいました。


「わたし、アイといいます。よろしくお願いします」


えっ!?

って思いました。


「え!?アイってアイラブユーの愛の愛ですか!?」


「はい。そうです。変な名前だねって外国の方によく言われます。ははは。」


「いや、めっちゃ素敵な名前やと思いますよ!愛って!」

 

 

 

 

 


ウソやろ!?

こんなことってある!?

 

 

 

 

ボクは冷静を装いながらも「日本はどちらですか?」と質問をすると「福岡です。」と答えが返ってきました。

「福岡いいですよねー。飯めっちゃ美味いし安いですもんねー。」

とか言いながら心の中で(あ、違った。)と思いました。

いやいやでもでも

もしかしたら小さい頃は大阪の、しかも豊里におって福岡に引っ越したかもしれんやん。実際佐々木家は引っ越していなくなったんやから!

ボクは違う話をしながらも、またしばらくして「あれ?愛さんて日本はどちらですか?」ともう一度質問しました。

「福岡です。」と愛さん。


「あ、さっきも聞きましたよねごめんなさい。でもあの、ずっと福岡なんですか?生まれも育ちも?」


「あ、はい。そうですよ。ずっと福岡です。」


あ、やっぱり違うかった。

ていうか見た目がもう確実にボクよりはるかに若いんやから違うに決まってるよね。とか思いながらも往生際の悪いボクは「あれ、そういえば愛さんておいくつなんですか?」と質問しました。「32です。」と愛さん。

ほら。

だから言うたやん絶対違うって。

そこからまたいろいろ会話を続けていると愛さんのお姉さんの話しになったので、もう絶対違うって確定してるのに何故か一抹の希望を込めてボクは質問しました。


「そういえば愛さんて妹とかはいないんですか?」


「わたし6人兄弟姉妹なんですけど末っ子なんですよ。」


ここでボクはハッキリと認めました。

違うかったと。

これ、一切話し盛ってなくて全部実話です。

マジでこんなことってある!?と思ってかなり動揺しちゃいました。

けっきょくあの頃の愛ちゃんではなかったんですが、話しがすごく合ったので愛さんとはたくさんお話ししました。

そのあとボクはグラナダからコルドバへ行く予定やったんですが、週末に重なってしまいコルドバの宿がほぼ無くなって一泊100ユーロ超えとかになってしまってたのでマドリードに行くことになったんですが、ちょうど愛さんもマドリードに行く予定だったので向こうでも会って一緒に日本食を食べに行ってたくさんお話ししました。


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どん底」って名前のレストラン。日本人のスタッフの方が3人いてて、久しぶりに日本のホスピタリティのある接客を受けて心がほっこりしました。ご飯も美味しくておかわりしました。食欲も戻ってきたし本当に良かったです。やっぱり健康なのがなによりも一番だなぁと思いました。


「今までの4年半の間の旅の中で一番嬉しかったことってなんですか?」


そんな質問を愛さんがボクにしてきたので、ボクは嬉しかったというよりも忘れられないことがこの旅の初めにあったことを愛さんに話しました。

ニュージーランドのデイビッドの話しです。

いい機会だし自分自身への戒めも込めていま一度コピペですが今日は最後にここに記しておきます。


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タイトル
「旅に出て2年が経ちました」

今日で旅に出て丸2年が経ちました。

この2年間、本当にいろんなことがありました。

2年間も旅を続けていると、当たり前ですが嬉しいことや楽しいことばかりではなく、ツライことや悲しいこともありました。

大きな後悔と反省をしたこともありました。

そして惨めな思いもしました。

実は1回だけ、本気でもう旅なんて辞めてしまおうと思ったこともありました。

 

2年前の今日、ボクは音楽素人で歌もギターも下手くそなクセにギターと寝袋とテントと500オーストラリアドルを持ってバスキング旅に出ました。

1カ国目はお隣の国ニュージーランドでした。

首都オークランドに着いた翌日メインストリートでこの旅初のバスキングをしていると、1人のバスカーさんが声をかけてきました。

その男性バスカーは出会って5秒で「家に泊まりにおいで。」と言いました。

それがデイビッドでした。

デイビッドには奥さんと2人の子供がいました。

奥さんのレイチェル。
長男のイヴァン。
長女のロージー

実は昔、一家で日本の沖縄に3年ほど住んでたことがあるみたいでした。

とにかくデイビッドもレイチェルも優しくて、けっきょくボクは1週間もデイビッドのお家でお世話になりました。

デイビッドは本当に本当に良くしてくれました。

最後の日、次の目的地のワイヘケアイランド行きのフェリーのチケット代まで「俺からのプレゼントやで!」って言いながら渡してきました。

当然ボクは全力で断りました。

するとデイビッドは急に真顔になって日本語で話し始めました。

「ワタシタチガ、オキナワ、イタトキ、オキナワノヒト、タクサン、タスケテクレタ。ミンナ、ヤサシク、シテクレタ。ダカラ、ワタシハ、ゾロニ、フェリープレゼントスル、アタリマエノコト。」

今でも忘れることなんて出来ないです。

この優しさはデイビッドだけの優しさじゃなく、沖縄の人達の優しさ、ひいては沖縄の人達が優しくされた誰かの優しさ、ずっとずっと遠い遠い昔から受け継がれてきた優しさのバトンをボクは今受け取ったんだと思いました。

とてつもなく大きな愛を感じました。

心の底から胸が震えました。

泣きました。

本気で泣きました。

そして必ずボクはこの受け取った優しさのバトンをこの先出会う誰かに渡し続けようと決意しました。

デイビッドみたいに優しくて愛のある大きな男になりたいと心から思いました。

 

その後のニュージーランドの旅でも、もう数え切れないほどたくさんの人達が助けてくれました。

2カ国目のオーストラリアをヒッチハイクで周ってる時も、本当にたくさんの人達が助けてくれました。

本当に心の底から感謝しました。

でも一方で、ずっとずっと疑問に思ってたことが少しずつ大きくなってきました。

「なんでなん?なんでみんなこんなに優しくしてくれるの?」

「ボクはただ自分の夢である世界一周してるだけやのになんでなん?ボク何様なの?」

と。

 

オーストラリアの旅を終えて、インドネシアのバリ島ではあまりにも稼げなくて看板持ってビーチを流ししたり、欧米人観光客向けのパブやレストランを流ししたりしました。

次の国のフィリピンでは、けっきょく一度もバスキングすることが出来ませんでした。

その次の国のシンガポールでボクはバスキング中に警察が来て止められた時に、偽名を名乗りパスポート今持っていないと嘘をついてしまいました。その結果、手錠をかけられて15時間拘束されて留置所にも入れられた挙句、強制退去処分を受けました。

この2年間の旅の中での大きな後悔と反省です。

マジで反省してます。

シンガポールで強制退去処分を受けたボクはマレーシアに向かいました。

このマレーシアでボクは財布を無くしてしまい、毎日必死で歌っていました。

するとオーストラリアで出会った女の子が2人組でわざわざボクに会いに来てくれました。

3人で食事に行ったのですが、ボクはワーホリを終えたばかりの若くてお金も無いであろう女の子2人組に、たかだかマレーシアの安い安い中華料理のディナーをご馳走してあげることすら出来ませんでした。

なんて情け無いんだろうと思い、男として恥ずかしくなりました。

35歳にもなって、20代そこそこの女の子と飯食うてご馳走してあげることが出来ないなんてボクは何をしてるんだろう?と思いました。

本当に惨めだなと思いました。

 


マレーシアで財布を無くしてしまったボクは、フライト資金が入っているカード再発行の為に、どうしても一度オーストラリアに戻ることを余儀なくされて、一番フライトが安かったオーストラリアのパースへ戻りました。

カード再発行の手続きをしながらも毎日毎日歌い続けました。

ところが稼げない日々が続きました。

4時間歌おうが5時間歌おうがいっこうに稼げない日々が続きました。

シェアハウスに滞在していたのですが、シェアメイト達は本当に優しくて、稼げなくて毎日食パンと出前一丁ばっかり食べてるボクを見かねて、オカズを分けてくれたり野菜やフルーツを分けてくれたりしました。

本当に嬉しかったし感謝しました。

でも

やっぱり

惨めだなと思いました。

35歳にもなって、歳下のワーホリの子達に心配されて飯とか恵んでもらって喜んでるってなんなん?と。

男として、というかもう人間として終わってない?と。

本当に惨めだなと思いました。

もう

もう

もう

これ以上こんな惨めな思いをするならば、旅なんて辞めてしまおうと思いました。

ボクは最後の悪あがきで泣けなしのフライト資金を崩して、アンプとマイクを買いました。

諸々で700ドルもしました。

「これで稼げなかったらもう本当に旅は辞めてしまおう。他人様にこれ以上迷惑かけて、その度に惨めな思いをしてまで旅するくらいなら、もういっそのこと諦めて、普通の人達と同じようにちゃんと2~3年働いてお金をしっかり貯めてそれからまた世界一周に出よう。」

そう決めました。

ところがアンプとマイクを使用してバスキングしてみると、なんと3日間の路上であがりは700ドルを超えました。

たった3日間でアンプとマイクと諸々に掛かった費用700ドルが回収出来ました。

狐につままれたような感覚でした。

ボクの路上人生が変わった瞬間でした。

シェアハウスのテーブルでボクがパンパンになったポーチからあがりをぶちまけるとシェアメイト達から歓声が上がりました。

あの時のあがりを数えるボクの嬉しそうな顔ったらなかったと思う。

みんなに見せてあげたかったくらいです。

良かった。

これでボクは旅を続けられる。

しかももう他人様に迷惑かけたりすることもなく、自分のチカラだけで旅出来るかもしれない。

少なくとももう二度と惨めな思いをすることはないはず。

なんなら逆に今度はボクが旅中で困ってる人に出会ったら助けてあげることが出来るかもしれない。

そう思い、ボクは覚悟を決めてテントを捨てました。

もう二度と野宿はしないと決めました。

「野宿してます」って言うから「泊まりにおいで」ってなる。

「バッパーに泊まってます」って言えば「泊まりにおいで」とはならない。

そう思ったから。

 


稼げる国や街を見つけたら、ボクは長期滞在してしっかり稼ぐようになりました。

読書の方からしたら、ボクは稼げるとこばっかり周ってて読んでて面白くないのかもしれませんね。

でもボクなりに理由があってそうするようになりました。

その理由は

「今後旅する上で極力他人様に迷惑かけたりお世話になったりしないようにする」

です。

旅人というのを理由に、誰かに泊めてもらったり、誰かに飯おごってもらったり、もうそういうみっともないことするの辞めようと思ったから。

自分が好きで旅してるだけやのに人の好意に甘え続けんのはやっぱりちょっとおかしいと思ったから。

だから稼げる国や街を見つけたら長期滞在してしっかりと稼ぐように心掛けるようにしました。面白くないと言われてももういいです。

誰かに迷惑かけるくらいなら、その度に惨めな思いをしなければいけないくらいなら、ボクはもう旅なんてしたくないから。

 


この2年間で本当にいろいろありました。

きっとこの先もいろんな事があると思います。

出来るだけ他人様に迷惑をかけたくないと思ってるけど(そもそも自分が旅したくて勝手にやってるだけやねんから当然のことです。)、でもやっぱりボクは未熟な人間だし、そもそもまったく他人様に迷惑をかけないで生きることなんて不可能に近いことだと思う。

だからきっとこの先もなんかしら他人様に迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。

その時はまた自分で頭打って反省して成長していけたらなぁと思います。

 


デイビッドから受け取った優しさのバトンはまだ忘れていないです。

デイビッドだけじゃなく、たくさんのたくさんの人達から優しさをもらい、助けてもらい、ここまでなんとか旅することが出来ました。

本当に本当に感謝しています。

旅人やからしてもらって当たり前なんて感覚に陥ってしまったら、もう人間として終了のお知らせが市役所あたりから届くんじゃないのかな?とボクは思ってます。

感謝の気持ちを絶対に忘れることなく

人間としての節操をしっかり持って

男として恥じることのないよう

この先も旅を続けられたらいいなぁと思います。

デッカイ男になりたいなぁなんて思うのです。

最後になりましたが

みなさんいつもいつもブログ読んでくださり、コメントもくださり、なんならポチまでわざわざ押してくださり本当にありがとうございます。

この2年間で本当に読んでくださる人が増えて、コメントくださる人が増えて、ポチまでわざわざ押してくださる人が増えて、今本当に毎日ブログ書くのが楽しいしです。

ボクは未熟な人間だし学も無いしそもそもカスなので、ブログの文章から嫌な思いや不快な思いをさせてしまうこともあるかもしれません。

その時はガツンと指摘して頂けたら嬉しく思います。こういうのってなかなか自分では気づかないものなので。

ボクは不器用な人間なので、頭打って反省しないと成長出来ないんです。

こんなボクですが、みなさんこれからも

”ゾロのそぞろ歩き”

何卒よろしくお願いします。


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この日記を書いてからさらに2年半近くの月日が経ちました。

もう旅に出て4年半近く経とうとしていますが、ボクは今でも元気に旅を続けています。(ついこないだ食中毒で死にかけてましたけども)

正直、今はあの頃ほどに旅を楽しめてはいないです。

むしろ嫌々周ってる感があるのは否めません。

それでもボクは今でも旅を続けています。

理由はボクにもさっぱりわかりません。

だけどきっと何かしらの理由があるんだと思います。

じゃないとこんな嫌だ嫌だといい続けながらお金と時間を消費してまで旅を続けていないと思います。

この先に何があるのか知らないけども、きっと何かが待ってるのでしょうね。

その何かに巡り会うためにボクは今でも旅を続けてるのかもしれません。

知らんけど。